タイの始まり

ポジティブ雄(お)の
梶村俊明です。

前回のつづき

その2人に声を掛けたら
そのうちの1人(2歳年上のマサル)が
何回かタイに来たことがあり
今からカオサンロードに行くとの事なので
その2人に付いて行く事にした

空港からはエアコンなしの
各駅停車カオサン方面行のバスに乗車
値段は10円くらいやが熱帯のエアコンなしのバスは
睡眠不足もありホンマにきつかった

タイの渋滞もあり空港から2時間位でカオサン到着
※タクシーなら早かったら30分で着く

ヘロヘロになりながら宿を探しに歩いた
マサルが以前泊まった事があるゲストハウスが
カオサンから離れているがいい所だと
いうことでそこを目指す事にした

カオサンを離れて20分~30分
ようやくマサルの目指す場所に到着
やっと着いたと安堵していたら
何か様子がおかしい!

厚化粧で年齢不明の子がちらほら
何とその場所は
ゲストハウスから売春宿に変わっている事が判明

「なんでやねん・・・」

疲労もピークに達していて
思わずマサルをしばいたろかと思った

その時代は
まだタイが観光立国となる前の
売春立国だったので、至る所で売春宿があった

中国人が経営している旅舎と呼ばれる所は
全て売春婦がいた。

外人を相手にしていなく
タイ語か中国語が話せないとダメで
完全に現地人用の売春宿がホンマに多かった

仕方なしに
カオサンに戻ろうかとなり
その前に屋台で食事をする事にした

カレーやガパオ等色々な料理を
作り置きしているスタイルの屋台で
タイでは一般的屋がやが
初めて見た時は、
タイ料理も食べた事が無かったから
全く美味しそうに見えなった

食べてみたら美味しかったので良かった

食事もしたし、さあ戻ろうかとした時
路地の奥に「GUEST HOUSE」の文字が見えた

俺はもう
宿が何百軒もあるカオサンに戻ろうと思ったが
マサルがせっかくやから
カオサンに戻る前にそこを見てみようとなり
そのゲストハウスに行った

ゲストハウスの名前は「AP GUESTHOUSE」
カオサンから離れている場所柄
長期滞在者が泊まる隠れ家的な所
水シャワーとトイレ共有の個室で
1泊250円位、まあまあ許容範囲の宿やった
※後に色々な友達も泊ったが女の子は誰も泊らなかった

APの周りには全くゲストハウスがなく
タイ人の住宅地にポツンとある環境やったから
現地の人とも触れ合えた

タイに何回も行くきっかけの一つが
このAPゲストハウスであうのは確かや

APを切り盛りしていたのが
「ママ」と呼ばれる働き者のおばあちゃんで
俺からしたら、
オカンより上でオバンより下の存在で
親戚のおばちゃん的な感じやった

 

次回につづく

最高の旅

ポジティブ雄(お)の
梶村俊明です。

今回は今までに行った旅行で
一番思い出に残っている旅行について書く

俺は、結婚をするまで
バイトや仕事をしてお金が貯まったら
海外に出かけていた

俺の性格上、何事にも関心がある分
飽きるのが早い事が多く
今まで色々な職種のバイトと仕事をしていた

今に気付けば
色々な事を経験して分かる事が沢山あるし
今のライフコーチや霊視やヒーリングの仕事に
全て役に立っているので
無駄な事が何も無いと分かった

人から見たら
しょっちゅう仕事を変えたりしてたから
「ええ加減な奴」
「ふらふらしてる奴」
等に思われていたかもしれんが

如何せん
人の考えている事や人の意見を気にならないし
どう思われてもいいと思っているので
何とも思わなかった

まあ
俺の周りの人間は
「自分の好きな様に生きていて
毎日楽しそうやな~」
と言っていた

その通りで
俺は生まれて今まで、これからも
自分の欲望のまま
行きたい所に行き
食べたいものを食べ
やりたいことをして
好きな人と一緒にいて
自分が楽しいと思う事しかやらない
と決めた実行している

仕事が続かいとか
今の仕事が面白くないで
悩んでいる人は
その人が本当にやりたい仕事をしていないからやで

やりたい仕事
夢中になれる仕事を
本気で探したらええねん

話は旅行に戻り
何か気分がモヤモヤして
日常生活が面白く無くなってきたら
「これからの人生を考えてくる」
「ちょっと世界を見てくる」
とか急に言って、日本を出て行った

今まで色々行って、いい所はいっぱいあるが
初めのタイ、エジプト、ネパールが
俺の旅行で最も印象に残っている

その頃は
ネットがまだ無かったので、全ての旅の情報が本やった
地球の歩き方が旅のバイブルとなっていた

旅行の始まりに
「エジプトのピラミッド」
「インド」「世界最高峰のエベレスト」
に行くイメージを抱いて

今回の旅行に対しては
何の情報も持たずに行く事を心に決めた

とりあえず
エジプトに安く行く方法を調べたら

当時、
世界でも航空券が安かったタイのカオサンロードに
バックパッカーが集まっているのが分かった

と言う事で
帰国の日付が入っていないオープンチケットで
先ずはタイを目指す事にした

タイのドンムアン空港(現在はLCC用の空港)に
早朝到着

頭の中は「カオサンロード」の単語のみで
本も地図も前情報も何も無いので
どうやって行こうかな~と考えた

答えは直ぐに出て
「バックパッカーを探して、そいつに聞けばええやん」

そしたら丁度
バックパッカーの2人組で歳が変わらない日本人を発見

 

つづきは次回

初体験

ポジティブ雄(お)の

梶村俊明です。

前回のつづきを書く

2日目
オバアにニガイに8時頃来たらいいと
言われて行ったら、着いて直ぐに終わった
7時から開始してたみたいで
早く行ったら良かったと思った
次回は早く行く事を決めた

ニガイが終わり
嫁とオカンは
アンチエイジング&健康診断
俺は海水浴に出かけた

嫁曰く
アンチエイジン&健康診断は
オバアの紹介もあり1万で出来る
大阪とかやったら
4~5万の内容やからめっちゃお得で
宮古島にこれだけに来る価値がある

俺には必要ないので
昨日と同じ砂山ビーチに行った

この日の天気予報は台風の影響で
完全に雨予報やったが
晴れ男の俺が海に行くから
天気は良かった

アンチエイジン後の嫁とオカンを拾って
島観光に出かけた

島観光といっても
宮古島は海しかない
まあ、何処に行っても綺麗やわ

俺もいろんな所の海を見てきたが
宮古島はトップクラス間違えない
下手したら一番かもしれん

2日目の夜は
島唄ライブのある
美ら美らという店に
オバアを含めて4人で行った

そこでも唄と食事を楽しんだ

その日一日中雨が降ったり止んだりして
車で移動している時は振って
外を歩く時は止んでを繰り返していた

夜に連れて雨は激しくなり
台風の影響で風も凄くなってきて
ホテルに戻る時は
台風の中を居てる感じやった

天気予報では明日台風直撃
「明日の飛行機飛ぶかな~」
と考えながら寝た

3日目
朝5時に目が覚めて
天候を確認すると台風が来てる感じ

俺の危機管理能力が働いて
飛行機のチケット変更に直ぐに動いた

案の定
宮古島含め沖縄のANA全便が欠航

今回俺のANAのチケットが
ややこしいチケットやったて少し時間が掛ったけど
無事に翌日のチケットに変更
※変更手続きが遅かった人は翌日の便には乗れず
翌々日の便になっていた

ホテル、レンタカーの延長も手配した
ホテル、レンタカーは台風の為の延長プランがあり安くすんだ

今まで何百回と飛行機に乗ってて
遅延や欠航も何回もあるけど
欠航による延泊は初体験やった

1日増えた
さあ~何しようか?

とりあえず
水着に着替えて
1人でホテルの前のビーチに行った
暴風雨の中のビーチは流石に貸切状態
思ったより波が無かった
バスタオルを忘れたので
海岸をウロウロしてホテルに戻った

オカンはマッサージ
俺と嫁はシーサー作りに行くことにした

我ながらいい感じのシーサーが出来て良かった

その後
3人で宮古島温泉にゆっくり浸かりにいった

温泉後
お土産を買いに色々周り色々買った

その時のドン・キホーテに寄った時が
まさに台風を感じられる暴風雨やった

テレビで見る南国の台風を肌で
感じられたことはええ経験になった

晩御飯は
宮古島居酒屋ランキング1位の志堅原に行った

食べログ評価通りの美味しいお店やった

こうして
延泊の1日を満喫したのであった

旅で学ぶこと

ポジティブ雄(お)の

梶村俊明です。

今回は初体験について書く
※旅行でのやけど

7月16日~18日で
今年3回目の宮古島に行ってきた
俺(3回目)、嫁(2回目)、オカン(初めて)の
3人での旅行

旅の目的は
〇ユタの祈祷に参加
※ユタとは
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%82%BF
〇海水浴
〇アンチエイジング&健康診断

俺はサイックとして
人をリーディングする仕事をしている
サイキックとヒーラー仲間にユタを
4月に紹介して貰いそこから4カ月で3回の訪問

ユタ(オバア)と初めて会って
オバアに気に入って貰って
俺もオバアが好きになり
※勿論、恋愛関係の話ではないで
そこから毎月1回以上は会っている

オバアは千葉に毎月のように来ているので
都内か千葉で会っている

オバアはユタでの地位も高いみたいで
能力的には相当の物がある
オバアにみて貰った人は
オバアの信者みたいになっている

オバアからしたら
俺は自分の息子みたいに思ってくれていて
※勝手に俺が思っているだけかも
俺からしたら
オバアが面白い存在で一緒に居てて楽しい

嫁もオバアにみて貰って
見た目では分からない交通事故の事や
色々と当てられていた

オバアは嫁も気に入ってくれているみたい

そのオバアから
今回の日程にニガイ(祈祷)があるから
宮古島に来たらと言われて行った

最初は嫁と2人で行く予定だったが
オカンがアンチエイジング&健康診断
と行ったことがない宮古島に興味を持ち
一緒に行くことになった

宮古島到着して直ぐに
食べログ食事ランキング2位の
丸吉食堂に向かったがネット情報にはなかった
まさかの定休日
※毎週火曜日は休んでいるみたい

仕方がないので
ランキング3位の古謝そば屋に行った
14時到着やったが店の場所がいいので
結構並んでいた
3位だけあって
美味しく頂いた

食後
抜群に天候が良かったので
3人で砂山ビーチに行って
海水浴をした

オカンは何十年ぶりの海水浴やったので
めっちゃ喜んでいた

前に来た時は水中メガネを
持ってなかったから気付かなかったが
砂山ビーチの海には
滅茶苦茶魚がいっぱいいてて
ホンマに綺麗で癒されたわ~

子供が届く所にも魚が居てるから
家族連れにもいいと思うわ

夜は
島唄ライブがある
和おんという店に行き食事とライブを満喫した

和おんの料理は
今までの島唄ライブがある店では一番美味しかった

夫婦で店を営んでいる家庭的な店やった

次回につづく

ヨーロッパは広い

ポジティブ雄(お)の

梶村俊明です

今回も海外の続きを書く

なんで海外に行って
色々な事が起こっても
被害に会わないかというと

俺は12歳から空手をやっていて
常に周囲に目を配っているし
危険察知能力も兼ね備えている

プラスで
当時旅行中は警棒とナイフを
持ち歩いていて
何かあったら
自己防衛と反撃体制を
醸し出していたから
何も無かったと思う

昔の飛行機は
今では考えられないが
煙草も吸えたし
俺が持っていた
ビクトリノックスの万能ナイフは
専用ケースに入れていたら、
手荷物検査に引っ掛からなかった
いつも機内にも持込んだし
肌身離さず携帯していた

当時の印象では
スペインが中々英語が通じず
ホテルやレストランで
楽しかったのを覚えている
俺もスペイン語は全くやったので
料理を頼んだ時もメニューが読めないので
何が出てくるかが楽しみやった
初めて食べたパエリアの味は最高やったな~

サクラダファミリアも
何の囲いもなく、
本塔(一番デカい建物)の上に
上がるエレベーター以外
ただやった

ドイツのレストランで
英語で会話していた時

隣のおっさんが
「君はなんでドイツで英語を話すんだ
ドイツではドイツ語を話しなさい」
と言われたから

「ドイツ語分かりませ~ん」
と答えた

おっさんは呆れ顔をしてたけど
ドイツ人の誇りを持った人やな~
との思いと

何を言うてるねんと
言う思いがいまだにある

フランスの印象は
パリの街が花の都というのに
汚い町やな~と思ったし
地下鉄でキセルをしている
黒人をいっぱい見た
改札の出口を飛び越えていた

ベルサイユ宮殿が
凄く印象に残っていて
なんか初めてではない印象がした
後で分かった事やけど
過去生で居てたとこみたい

ニースとモナコは
物価が高過ぎ健作やった

イタリアの印象は
おれの過去生で何回か
イタリア人があるなと思うくらい
好きなところや
特にローマ、ミラノ、ベネチアは良かった
イタリアは遺跡と料理はいいが
経済がアカンかったし、ジプシーが
いっぱい居て悪い事をいっぱいしていた
ヨーロッパで行われていた殆どの詐欺は
イタリアで行われていた

ドイツかどっかの
スーパーで買い物袋が
有料やったのも衝撃やった

買い物をして袋内くれなかったから
レジのところの買い物袋を取ったら
店内で注目を浴びて怒られた

ニコって笑って胡麻化した

オーストリアのチンチン電車で
車内放送をちゃんと聞いてなく
ボーとしている内に乗客全員が降りて
車庫に行き、車庫に着いたら
電車の電気が消えたのは
ビビったで

扉を無理やり開けて
線路を走ったのを
映画のワンシーン並みに覚えている

一人で行くよどこまでも

ポジティブ雄(お)の

梶村俊明です

今回も海外の続きを書く

次に行ったのが
初めての
バックパッカー1人旅で
ヨーロッパを
2ヵ月くらいでまわった

その時も
色々な経験をいっぱいした

・観光客を騙すいかさまカード
※今でも観光地でやっている

・新聞を使った物取り
歩いている人の目の前で新聞を広げて
相手がビックリして新聞を見ている隙に
相手の荷物を奪う

・ケチャップ詐欺
すれ違いざまにケチャップを肩とかに
付けてきてケチャップを拭いている時に
荷物を奪う

・電車で泥棒に襲われる
当時はLCCが無かったので基本電車移動
夜行列車での移動が多く、寝ている間に
荷物を奪われたりすることが頻繁にあった
特にスペインの泥棒列車は有名で
俺も寝てる時に2回襲われた

・駅に停車中の列車で置引き
ヨーロッパの駅は改札が無かった為
国際列車なのに絶対に乗らない風体の奴が
客の荷物を物色していた
席に座っていると車外から窓を叩かれて
外を覗いている内に荷物を取られる
何人も引っ掛かって、カメラとか取られていた

・ジプシーに襲われ未遂
ローマの観光地で何回も遭遇
子供のジプシーが数人で襲ってきたり
色々な手口で襲ってくる
子供たちを少し離れた所で観察していたら
奴らの襲うターゲット絞りや行動が分かった
日本人の格好に似た綺麗な服装をした
韓国人男性が4人に手と足とを抑えられ
「NO~」と叫びながら
持ち物全部奪われたのが、一番印象的やった

・ロッカー詐欺
高級リゾート地のニースで
小綺麗な黒人の男が駅のロッカーで
荷物を預ける人に、一緒に荷物を
預けてくれと頼んでくる詐欺
一緒に預けたら、
お前が俺の荷物まで取るやろ~

・スペインのバルセロナの全く英語が通じない所で
地球の歩き方に載っていたホテルが無くなっていた
地球の歩き方に載っていてホテルが無いのは何回も
あったが、言葉が通じないのは面白かった
ウロウロしていたら、住民が近くのホテルを
紹介してくれて泊まったのを覚えている
ホテルのオジイも英語が話せなかったので
全てジェスチャーでやった

・マイナス20度
その冬にヨーロッパ全体が大寒波に襲われ
オーストリアを観光している時に遭遇した
元々寒いのが嫌いやから、オーストリアの
観光はいい思い出がない

等あったが

殆ど何も被害はなかった

狙うやつは
人見てるからね~

スキを見せたらやられるで~

 

経験がなんぼやで

ポジティブ雄(お)の

梶村俊明です

海外の記事を書く

2回目の
海外に行ったのは
アメリカから3年たった
1988年の夏

高校2年の夏休みに
1週間連れの正野(親友)と
今、緊張状態の韓国に2人で行った

なんで
韓国に行ったかというと
その頃は今みたいに
日韓関係が悪くなく
ただ単に近かったから行った

まだ海外旅行が簡単やなく
格安ツアーや格安航空券もなかった
時代やったから
ホテル、現地ツアー等の予約は
公衆電話から海外電話で
やったのを覚えている

交通手段は
夏休みの企画で学割があった
大阪~下関(新幹線)
下関~釜山(フェリー)
釜山~ソウル(特急列車)
の往復切符でいった

交通手段で印象に残っているのが
関釜フェリーで
乗船して出航前の時点で
ゲロゲロになったもんや
暑い・臭い・揺れるの三拍子で
殆どの乗客が死んでいた
帰りのフェリーは
ちゃんと酔い止めをしたから
全然大丈夫やった

現地のタクシー運転の
粗さもびっくりしたで

むこうでは
日本で予約していた
板門店(38度線)ツアーも印象的やったわ
今でも一緒やと思うけど
韓国人は亡命の危険があるから
参加はできず、外人のみのツアー

ツアーに参加する前に
「命の保証は要りません」の用紙に
記入させられるツアーで
ツアー中の注意事項も
・北朝鮮側を指で指すな
・ツアー中にサングラスを外せ
・ポケットに手を入れるな
・大きい声を出すな
・手をふるな
等の制約がいっぱいあった

板門店は非武装地帯とされていて
いつ何かがおこってもいい様に
韓国側は常にピリピリしている
状態の場所や

板門店からソウル市内までの
距離が近い事もあって
いつでも軍隊が出動できる状態にある

今まで3回行ったが
いつも緊張状態が続いている

板門店からソウルまでの道も
凄く警備と施設が整っていて
直ぐにソウルに辿り着けない
ようになっている

因みに
北朝鮮側から板門店に行った時は
何の制約もなく
緩い感じやった

板門店から平壌も遠いのもあるし
韓国と違って
進行を止める事ができる施設等は無かった

ただ単純に
板門店から平壌に行く道路が悪いから
簡単にたどり着けないと思った

1988年は
韓国の民主化運動全盛の時で
民主化運動を目撃した

日本に居てる時には
そんな情報は一切なかった

俺たちが泊まっていたホテルが
ソウル教会のすぐそばで
ソウル教会が民主化運動の
最前線やったみたいで

ホテルに帰るまでに何回も検問をされた
ひどい日はホテルまでの道を
完全武装した人間バリケードで
何列も作り、ホテルに辿り着くに
無茶苦茶時間がかかった

民主化運動は夜に勢いがあり
毎晩、火炎瓶を投げていた
待ちのあちこちで火が上がっていた

ホテルの廊下で下の様子を見ている時に
同じホテルの人が外に出たみたいで
その人は数分後に殴られて帰ってきた

明洞地区が盛んにデモ等を
やっていた印象でその他の
地域で毎晩悪ガキの2人は飲んでいた

その頃の
韓国人はみんな優しく
特に俺があった年寄りは
みんな日本語が喋れて
日本好きのいい人ばっかりやった
北の将軍家族の文句は言っていた

まあ
今も俺が会う人は
みんな日本好きでいい人ばっかりやけどね~

今まで
海外いっぱい行ってるけど
反日を感じた事がない

ポジティブ過ぎる俺に
ネガティブの人が
近寄ってこれないのと一緒で

親日過ぎる俺に
反日の人が
近寄ってこれないのやと思うわ

行かな分からんて

ポジティブ雄(お)の

梶村俊明です

海外の続きを書く

3回目の海外は

香港
その当時の香港は
イギリス領土で
空港も町の傍にあり
町を歩いている上を
飛行機が飛んでいた

その旅行も
韓国に一緒に行った
正野と行った

その時の一番の思い出は
東洋一と悪名高い
今は無き
九龍城を訪れた時に
現地のチンピラかマフィアに
危うく囲まれそうになった事や

危険察知能力バツグンの
俺の感がきいて
何も無かった

香港の印象は
ごちゃごちゃ感が満載
って感じやった

返還前に
もう一度香港を訪れて時
泊まっていた
ホテルが
香港一悪名高い
チョンキンマンションやった

泊まるきっかけは
ホテルをどこにしようかと
町をぶらぶらさ迷っている時に
現地の呼び込みに引っ掛かった

海外旅行の鉄則やけど
他人から話してくる奴は
大体、悪い奴!!
特に商売人は
まあ、ボッテくる

自分から話をして話す人と
向こうから話をしてくる人の違い

俺の経験上
何処の国でも
向こうから話してくる奴で
優しそう、親切そうな奴でも
結局、
最後はチップせびりよる

自分から声を掛けたら
大抵の人が
親切に教えてくれるから

困った時は、
自分で声を掛けて頂戴

日本に居てても
困っている人が居てても
自分から手を差し伸ばす人は
少ないやん

俺は、
外人で困っているいる人が居たら
直ぐに声を掛けるけど

俺以外に声を掛けている人を
見たことがないわ

声を掛けられた外人も
びっくりしてるで

香港の友達の子に
チョンキンマンションに
泊まっている事を告げると
とりあえず
宿泊先を変えろと
めっちゃ言われた

なんで
そんなに言うのかなと思った

その意味は
夜ホテルの部屋で
テレビを見ている時に判明

なんか外が
サイレントとかなって
騒がしいなと思って
テレビを見ていると
見覚えがある映像が流れた

何と
テレビで映っているのが
俺たちの泊まっている
ホテルの1階で

警察が大挙として
大規模な麻薬のガさ入れが行われ
何人もの逮捕者が出た

チョンキンマンションは
凄く入り組んだ建物で
何処が何処に繋がって
何があるか訳わからん
九龍城なき後の
香港の闇みたいの所

まあ
余り行く必要のない所やわ

両替が安い所以外いい事はない

危険と思われる所は
注意を払いまくりで行かないと
一発でやられるから

後、現地人に溶け込まなく
観光客丸出しも一発やで

日本の中でもみんなが知らなく
危ないところはあるし
俺も女性や子供連れの時は
行ったことがないで

行く人は自己責任でお願い

 

さよならメヒコ

ポジティブ雄(お)の

梶村俊明です。

前回の続き
メキシコ旅行について書く

メキシコ最終日
朝からテオティワカンピラミッドにむかった

テオティワカン遺跡は
南北アメリカ最大規模の遺跡で
登れるピラミッドでは世界一の高さ

この場所は絶対に行って欲しい所の1つ

10年前と比べて
やっぱり観光化が進んでいて駐車場も増えていた
お土産物屋やレストランまで出来ていた

遺跡の周りには自称パワーストーン売りの
オッサンもだいぶん人数が増えていた

遺跡や観光名所で
パワーストーンを売っている人をよく見るが
そのオッサンとかがどう見てもパワーがない

まあ
パワーストーンマスターの俺からみたら
売られている医師は全て偽物やけどな~

この場所は
2回目やけど又来ると思う場所
過去生(前の俺)はここに居てたと思う

輪廻転生ってあるやん
人は生まれ変わるっていうやつ
人間が誕生してからそれが続いていて
人によっては何万回も生まれ変わっている
と言われているねん

もう少し詳しく言うと
人間には「魂」と「肉体」とがあって
死ぬという事は「肉体」が死ぬのであって
「魂」はその「肉体」から離れて
次の「肉体」に移り変わるというやつ
ヤドカリ的なもん

信じるか信じないかは貴方次第やけど

みんなも
初めて行った所で何か懐かしいとか
心地がいいとか感じる所あるやろ

それは、
「肉体」は知らんけど
「魂」が覚えてるねん

俺も今まで色々海外に出かけてるのも
自分の過去生を辿っている事があると
数年前に気付いてん

みんなも
気になっている所がある場合は
きっと過去生と関係があるから
気になったら行って頂戴


能力的にも生まれながらの能力で
家族や親戚一同にない能力がある人居てるやん
それも前世での能力が現生に
「魂」が連れてきたとされるねん

過去生(前世)の事や能力を知りたい人は
俺のホームページを見て頂戴

テオティワカンのピラミッドは
太陽のピラミッドと月のピラミッドがあって
ホンマにホンマにええで

観光する時は何も太陽を遮る所がないので
日焼け対策を万全にして頂戴

俺は先日の岩観光で軽い火傷をしたので
ラッシュガードを着て観光した

ピラミッドでたっぷり受電完了して
シティに戻ってきた

元気ちゃんお気に入りの町
ソナロサ観光に行った

2丁目軍団のメキシコ観光は
ソナロサで始まりソナロサで終わると言われる所

時間が早かったのもあり
本来の町の様子は無かったが
楽しい雰囲気が漂っていた

ホテルに戻りシャワーを浴びて
最後の食事(勿論タコス)をし

町をドライブがてら
男の立ちんばが居てると言われる所に行った

そのエリアは大きな公園で
公園の中や外周に男がポツンポツンと立っていた

近づいて行くと
こっちを見ながら男は股間を握りしめる
それが合図になっているみたい
中には股間を出してくるツワモノもいた

メキシコで男の股間を見るとは思わんかったわ~

けど
今までに無い世界を見れていい経験になった
※まだ、男との関係はない

空港で今回世話になったレスラーカップルと別れを告げて

メキシコ旅行が終わった

と思ったら

飛行機の俺の前の奴が
人はいいと思うけど
頭が悪いめっちゃデカいやつで

席に座ったら直ぐにリクライニングをし
スチュワーデスに席を元に戻す様に言われても
体が大きいから席が戻らないと言って
スチュワーデスを困られていた

機内はスチュワーデスもビックリするくらい
込んでいて満席状態やった

14時間の飛行で満席のエコノミーは
ちょっときつかった

次に行く時はグレードアップして行くで~

メキシコ悪徳警官

梶村俊明です。

前回の続き
メキシコ旅行について書く

夜ご飯は
友達カップルが行きたい今シティで流行っている
Bar&ピザ屋に行き、テキラー、ビールを程よく飲んだ

食後ホテルに向かっている時に
この旅行最大の出来事に遭遇

昔からメキシコの警察は腐っていて
今でも警察に止められたら
何癖を付けられてお金を取られると聞いていた

まさか
俺たちがそれに遭うとは思わんかった

深夜0時
食事後ほろ酔い気分でシティを探索しながら
ホテルに向かって帰っている時
後ろからパトカーが近づいてきて
パトカーのランプが光、サイレンがなった
※運転している子は、飲んでいません

俺たちは何もしていないので
誰の車かな~と思っていたら
スピーカーで呼び止められた

車を停車
警察官が近づいてきて
ドラッグや武器を持っていないかの検査をするから
男だけ車から降りる様に指示してきた

元気ちゃんも見た目はオッサンなんで3人外
友達の子は、車内で待機の状態になる

車から出ると
パトカーの警官2人と応援の警官2人の4人が
俺たちを取り囲み真剣な表情で指図している
※応援の警官は自転車で駆けつけてきた

念のため、車外に出る前に
財布等カバンを椅子の下に隠しておいた

言われるがままに
車のボンネットに両手を乗せ、
足を肩幅より広めに開かされ
ボディーチェックが始まった

最初のうちは、
メキシコ、真夜中、パトランプが光る
警官に囲まれる、言葉が通じない
チョット酔っている等が重なり
此方も神妙になりかけたが

何も悪い事をしていないし
何も持っていない
俺からしたら

この状況が映画やテレビでみる
犯人逮捕等とダブって
段々面白くなってきて
顔がにやけてきた

元気ちゃんはあっちなので
警官に触れれる事を喜んで
「もっと触って~」
と言い出し
俺と同じ様に
この状態を楽しんできて
「なんでも調べて~」
とテンションを上げていた

元気ちゃんは海外ドラマが大好きで
ドラマのシーンとダブらせてたみたい

止められた目の前に
立ちんぼが立っている状況にも
笑けてきて
「俺たちを止めるより
売春をとりしまれよ」って

警官達は最初
ドラッグと武器と言ってきて
何も持っていない事が分かると
次は、売春容疑を掛けてきた

助手席に座っていた俺が立ちんぼに
声をかけているのを目撃したと言ってきた

スペイン語が全く分からない俺が
どうやって彼女達に声を掛けるか
教えてくれと友達カップルが抗議をした

そうすると警官は
又、話を変えて
あ~でもない
こ~でもない
と訳の分からない事を色々言っていた


「何言ってるねん、
訳わからん事言っているんやったら
明日日本の大使館にお前たちの事を抗議する」
と訳して警官に伝えたら

警官
「あなた達がそのような行動にでるなら
私達は彼(俺)の奥さんに連絡を取って
あなたが売春をしている事をチクります」

何を言っているのか訳が分からなくなり
車内の友達は段々怒りを表してきて
警官に抗議をしまくるようになった

運転している彼氏はビビりなので
警察とは揉めない様に話をしていた

俺は警官で英語を話せるやつが居てたので
色々話をして警官3人と和んできた

1人の警官が運転していた子に
「もういい、俺たちに金をくれ」
と言い出した

最初は1人100ペソ
4人で400ペソを要求してきたが
俺たちが払う気がないし
警官3人はあきらめかけたが
1人の1番年上の警官がどうしてもくれ
「100ペソでいいから払ってくれ」
と言い出した

それに対して
「100ペソって、それだけかい」
とズッコケてしまった

俺は、払わんでええ
運転している子は、この場を離れるには払った方がいい
元気ちゃんは、記念に払おう
友達の子は、腹立つけど払いましょう
となり

結局100ペソだけ払った
※日本円で600円くらいでタコス4個買えるくらい

噂に聞く
メキシコあるあるを体験出来て
俺と元気ちゃんは大満足やった~

追記
警官の自転車の後ろにお菓子を積んでいた

皆、
メキシコ行ったらこんな体験できるかも~

次回につづく