元祖イク(育)メン

元祖イク(育)メンの

梶村俊明です

今回から子供について
色々書いていく
※育児、子供との付合い方等

俺は今まで子供たちに
空手、水泳(コナミスポーツクラブ)を教えて
学習塾経営で子供たちに接してきた

育児も
長男が生まれた時に経験した

子育てでも
2人の子供と向き合ってきた

空手、水泳、塾で

何百人の子供達を見て接して
その親とも接して

子供達の立場
親や大人から見た立場
を観察しまくった

親や大人の考えでは理解出来ない
子供の考えや
子供の考えでは理解できない
大人の考えを

俺なりにぶった切って
俺が思った事を書いていく

※俺の独断と偏見がある為
記事に文句がある人は
見ないで頂戴
文句があっても
聞きません

今から20年前
「育メン」と言う言葉が無い時に
俺は育メンをしていた

1999年長男の帝斗が生まれた
その時
俺は不動産屋で働いていて
嫁も正社員で働いていた

不動産屋で家の売買をしていて
俺なら買わない物件や
「今が金利の底です」
「土地の値段も下げ止まります」等
俺の考えとは全く逆の事を言って
家を売るのに嫌気を出し会社を辞めた

アルバイトをしながら社労士の勉強し
社労士、宅建、FP等の資格を取って
独立開業を目指す事にした

会社勤めをしていない分時間が持てる状況で
育児に関心を持って
「長い人生の中で育児をするのもええやん」
と思い、帝斗の育児をする事を決めた

朝、帝斗を保育所に嫁を会社に送り
迎えに行く迄の時間で勉強とバイトをしていた

子供との接する時間が一番長かったので
帝斗は俺にずっとくっついて
完全にお父ちゃん子になっていた

そんな生活を一年位していて
俺が海外に数日出て行って帰ってきた時
帝斗が何かの病気になり
嫁が付きっ切りなって看病をした
俺が海外から帰ってきた時
帝斗はお父ちゃん子からお母ちゃん子に変わっていた

それを見た俺は
帝斗の乳離れ(父離れ)の時が来たと受け留め
仕事に力を入れていく事を決めた

帝斗が保育所に通っていた時は
保育所との関りも積極的に行い
保護者会会長もやった

2人の子供とも大学生になった

保育所、小学校、中学校、高校、大学
とそれぞれの色んな問題があったし
いまでも問題はある

沢山の子供たちと色々な問題を
一緒に乗り越えてきて分かった事を

これから何回かで書いていく

先ず最初に

子供達全員が
未来があり無限の可能性を持っている

その可能性を伸ばすのも潰してしまう
のも身近な大人や周りの大人が知らん間に
やっている事があるのを分かって欲しい

子供のドリームストッパーにならんといて

スポーツが出来る子
勉強が出来る子
音楽が出来る子
絵が得意な子
コミュニケーションが得な子
人の世話をする子
動物が好きな子
花が好きな子
ゲームが好きな子
漫画が好きな子

色々な子供
十人十色の子供たちがいてる

次回につづく

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