子育ては「気づき」

元祖イク(育)メンの

梶村俊明です

今回も
間違えだらけの
子育てについて書く

日本の義務教育の質は高いから
学校の勉強以外に余計な勉強はイラン
学校の勉強が自分で出来る子は
塾が必要ないが
大体の子が出来ないから
予習や復習で塾が必要になるねん

習い事は
長続きしなくてもええねん
それより色々な事に挑戦させるべきや
色々な事をやる事により
子供の才能や能力に気付くチャンスが増える
自分がやった事が無い事でも
子供にはどんどん色々やらせて

子供たちはみんな
才能や能力を秘めているねん

遺伝子で全てが決まるのではなく
無限の可能性があるし
才能はいつ花開くか分からんねん

親がチャンスを与えて
子供の才能に付いてあげたり
子供自信が自分の才能を見つける
手助けをしてあげて

勉強や習い事で子供たちは
壁にぶつかりその壁を乗り越えていく

子供との目標を作る時は
非常識なくらい「低く」設定する
※俺のライフコーチでも
クライアントの目標は低く設定して貰っている

その目標をクリアして
「成功体験」をどんどん増やす
「成功体験」がいっぱいできれば自信に繋がる

失敗したり結果が出なくても
「何を学んだか」がわかればいい

勉強、スポーツ、遊びの全てにおいて
トライ&エラーを繰り返す事を日常にさせる

勉強に「苦手意識」を持たせないのがミソで
何処で躓いているか気づいてあげのが役目
子どもを勉強好きにするコツは
「教えない」ということで
自分で考えさせる事が大事
宿題やドリルでのミスも正さないで
間違えに気付かせるのが大切

勉強も、習いごとも
「小さな壁」をたくさん乗り越えるいい機会と考え
「成功体験」をいっぱい作れると考えたらええ

子供を「ちょっと前の子供」と比べたら
絶対にその子は成長しているはず

親の役割は
子供の気付かない
「小さな成長」を気づかせること


食べ物で頭が良くなることもないで
テレビ等で「〇〇が頭にいい」と聞くと
直ぐにそれを食べさせたがるが
そら
ちょっとはええかも知れんが
そんな訳ないやん

食べる事は
満遍なく色々な物を食べるのと
楽しく食べることが一番大事

小さい時に
お箸の使うのを急かすのもアカン

だらだら食べさせないで
食べなかったらそれでもいい
むら食いも気にしない事
食事時間は30分くらいで止めたらいい

子供に取って
重要なのが睡眠であって
たっぷりの睡眠をさせて欲しい

夜中に起きていても
一生懸命に付き合わず
さっさと寝かして

「うちの子は夜寝ない」
とか言ってる人を時々みる
電気を消して
一緒に布団に入ってあげると
子供は寝るで
うちの子供は
保育所の時は20時に寝て
小学生の間まで
21時には寝てたで
寝かしに行った俺がいつも先に寝てたけどね

親が早よ寝たら子供も早よ寝る

間違えだらけの子育て

元祖イク(育)メンの

梶村俊明です

今回も
間違えだらけの
子育てについて書く

育児中の親は子育てで悩んでいる
いったいどうしたらええねん?

子供の人生をよりよくするには
持って生まれた才能や個性を
そのまま花開かせてあげればいいだけ
情報に振り回されるのは無意味

分かって所で難しいねんけど
頑張ってやるしかないねん

生まれる前の一番の胎教は、
お腹の子どもに話しかけること

俺も嫁のお腹に
よく話をしていたもんな~

生まれてから
子育ては母乳が一番と思っているかも知れんが
母乳が出なければミルクでええねん
今のミルクは母乳より栄養があるからね
うちの次男は嫁の母乳が出なかったから
ミルクやったで
全く問題ないもんね
母乳が出ないからって
悩んだり、責めたりしなくていいよ
母乳が出ても
自分がラクな方法で選んだらええ

幼児教育、早期教育は殆ど意味がない
他人の子より
ちょっと早く出来るようになるだけで
それがずっと続かないと意味がない
考えてみて
自分の小さい時にちょっと先に出来る子が
今も先を進んでいるかを
長い目で見たらその差はイランで

そんなことより
絵本を読み聞かせした方がええし
子供のそばで自分が好きな本を読むだけでも
立派な教育になるねん

小学校に入る前に
無理に文字を書かさなくてもいいし
作文なんか特に必要ないねん

風呂で数字を数えさせる事も
良くないみたいやで

幼稚園、小学校の
お受験で面接側が見ている事は
その子の正直さや個性を見ているねん

ちょっと先の勉強なんかみてないで

子供を通わせている保育園や幼稚園が
遊びばかりでも気にせんでええよ
子供は小学校までは
遊びで色々な事を学ぶから

遊びでも頭をよくしそうな遊びに
興味を持たなくても
何も気にしないでいい

小学生になったら
勉強が始まる
遊んでばかりの家庭からの脱皮で
学校では先生を尊敬し
先生に任せたらええねん

勉強に対して
何か進歩があれば
褒めたったらええ

もし自分の子に発達の不安があるなら
なおさら意識して褒めてあげて頂戴

勉強の伸びるタイミングは
子供自身に掴ませて
「勉強しいや」は逆効果になるで

うちの子供も
早期教育で英語や公文をやった
英語に関しては両方とも
高校生になるぐらいまでは
俺が見ていてもええ感じやったが
今は全くみられない

公文も余り関係が無かった様に思う

脳を使う観点からしたら
英語も公文もいいと思う

その他に公文のいい所は
反復でやる所やで
何事も反復が一番大切やし
誰かて反復したら出来る様になるからね

 

次回につづく

子育ては軽~い気持ちで

元祖イク(育)メンの

梶村俊明です

前回のつづきを書く

どこの親かて陥るパターンが

「1人でちゃんと
できるようになって欲しい」
「しっかりした子に育って欲しい」
「世の中で通用する子に育って欲しい」
「人に迷惑を掛けない子に育って欲しい」

やから、
自分の物は自分で片付け部屋等の片づけをする
食べ物の好き嫌いをなくす
宿題とか勉強ににしっかり取り組む
早寝早起きをして夜遅くまで起きない
人と会ったら挨拶をする
自分の事を考えず人の事を考える
人の目を気にする

どれもできるようになってもらわんと

でもうちの子
何回注意しても
なかなかできるようにならん…

「ホンマに段々イライラしてくる!」

この気持ち
めっちゃ分かる

しか~し
いったん冷静になって考えてみて

ほとんどが親が子に
「こうであってほしい」と望んで
そして
その思い通りの行動してくれへんから
段々イライラしてくる

これが現実ちゃう

親の願望に叶ったいるから
いい子で愛している

それが
条件付き愛情になっているねん

俺たちが親から言われた事を
子供に言っているだけかも知れんが

今の子育てで分かっているいる事は
俺たち親が言っている何気ない言葉が
子供をええ子にするためになっていない

反対に
子供の成長を止めたり
何にもならない無駄な事やったりする

例に挙げると
自分からみて
子供の行動がいっつも
モタモタしているように感じ
「早よやり」と言う
やが
モタモタして動き出すのが遅い子は
自分で考えて自分で行動しているねん
せかしてしまうと
子供が考える行為を妨げてしまう

他にも
次の事が子育てでは
正解と言われている
〇「挨拶しなさい」と言わない
※挨拶をしなくてもいい
〇手伝いが遊びになっても気にしない
※手伝いをしなくてもいい
〇友だちをえこひいきしても気にしない
※人の好き嫌いがあって当然
〇無理に部屋の片づけをさせなくてもいい
※散らかっていてもいい
〇早寝早起きにこだわらない
※夜起きていてもいい
※朝起きれなくてもいい
〇食べ物の好き嫌いがあっても気にしない
※好き嫌いがあって当然
〇ジコチューでも気にしない
※他人より自分
〇宿題等でのミスを正さない
※指摘はしてもいいが答えを言わない

以上の事が言われている

俺かて子供に何回も
言ってしまった言葉がいっぱいあるで

みんなも言ってしまった事は
しゃあないで済まして
これから言わんようにしたら
ええねん

子育てでの心の持ちようは
「だいたいやほどほど」で
一生懸命やり過ぎず
子供を信じて
軽い気持ちでやったらええ

子供に関心がない
子供を雑に扱う
子供をほったらかしにする等の
育児放棄とかやなく

「こうやなかったらアカン」
というこだわりを持たんと
ある意味適当でええねん

軽い気持ちで子育てしたら
親はイライラしなくなる
子供はのびのびと育って自立する等、
ええ事が増えてくる

真面目で完璧主義な頑張り屋に
なってしまっている
あなた~

気が付いてくれて
ありがとう~

無条件の愛情

元祖イク(育)メンの

梶村俊明です

今回も
愛情のつづきを書く

子供への愛情の勘違いで
うっかりと
親のエゴが入ってしまっている

俺かて今まで
どうしても親としてついつい
子供にあれやこれやと言ってしまう

塾や空手の現場で
自分の子供の事やなく
第三者的立場の時は言わないことを
どうしても言ってしまう

「ご飯食べや」
「はよ寝えや」
から始まり

「テレビ見すぎやで」
「ゲームしすぎやで」

「勉強しいや」
「宿題したか」

「いい高校に行った方がいい」
「大学に入った方がええで」
「独立よりサラリーマンの方がいいで」
「やっぱり公務員やな」

「○○した方がいい」
「○○に行った方がいい」

自分の考え、観念、経験から
子供の事を考えて
言ってしまっていた

世の子供を持つ親なら
殆ど全員が悪気をなしに子供の
事を考えて言ってしまっている

自分の子には
苦労をしてもらいたくない
安定した職業に就いてほしい
幸せにくらしてほしい
等を思って言ってるつもりや

はたして
それは、本当に子供の為に
なるのかを考えた

俺も親からあれやこれやと
言われたと思うが
あまり覚えてないし
話を聞いてなかった

結局
人に何を言われようが
自分で考えて全て決めてきた

ほしたら
子供の為と思って言っている事が

実は
子供が自分で考え決める事の
邪魔をしているのではないか

また
子供を信頼・信用してなく
子供が自分自信で考えられない
と決め付けているのではないか

子供に言った言葉に
自分のエゴが入ってないか

言葉を受取った子供が
その言葉によって
自分の意見をころしたり
行動のブレーキになっていないか

等、色々な事を考えてみた

もっと
子供を信頼・信用し
子供の自由な発想、無限の可能性
を引き出すことを考えた方がいい

親がいいと思っても
子によってはいいとは限らない、
そもそも
親子でも個人としてみたら
考え方が一緒な訳がない

次回につづく

生まれてきた意味

元祖イク(育)メンの

梶村俊明です

今日は子供の
生まれきた意味について書く

いい意味でも悪い意味でも
誰でも一度は思ったり
考えたりすること

「なんでこの親から生まれてきたんやろ?」
「なんでこの親やねん?」
という疑問

まあ中には
お父ちゃん子やお母ちゃん子で
親が大好きな人が居てるけど

基本的に人間全く一緒はないから
親に対する不満や希望があって当然で

他の親や大人とを比べて
あの人が親やったらええのに
と思った事があるのでは

スピリチュアル的な考えから
「親が子をきめているのではなく
子が親を決めて生まれてきた」
というのがある

人はみんな生まれてくる

肉体と魂の考えから
人は輪廻転生し魂は生き続け
肉体を借りて現生を生きている

現生での「人生の目的」は
「魂の目的」とも言われ

その人(魂)が何をする為に
生まれてきたかを
人生を使って学んで
魂の成長に繋げる
的な考え

まあ
難しく考えんで
用は偶然生まれてきたのではなく
必然的に生まれてきたという事

自分の親も
偶然やなく必然

自分の人生の目的の為に
必要な出来事を作り出す
上になくてはならない存在

分かりにくかったら
飛ばして頂戴

親から子への愛情やけど

俺は
親の愛情を余り求めていなかったし
必要と感じていなかったからか
子供の頃は
親の愛情をしっかりと
受け止めてなかったし
気付いてなかった

大人になってから
初めて親が俺への愛が
大きいのに気付いたくらいや

そやからといって
寂しい思い出も
つらい思い出も
何もない

ただ単に
心配や手伝いを必要としてなった

俺の親やから
他の親と比べて
滅茶苦茶心配掛けたし
散々、俺の為に謝っていた

子供ながら
俺のせいで謝っている親をみて
「ごめんなさい、お母さん」
とはならず
「俺の親やからしゃあないで~」
と思っていた

自分が親になって
気付いた事もあるし

子供への愛情も人それぞれで
どれが正解かは分からない

俺みたいに
どれだけ愛情を注いでも
気付かない子供いるから

愛情には
「無条件の愛」と
「条件付きの愛」がある

無条件の愛は
只々、
生まれてきてくれてありがとう
生きてくれてありがとう
と子供の存在自体に感謝し
子供を肯定し信じる事
生まれたばかりの子供に感じる気持ち

それ以外の愛情が
条件付きの愛情になる

世の中の親の殆どが
知らず知らずに
条件付きの愛情になっている

条件付きの愛情は
親のエゴとかが入って
愛情がはき違えてくる

次回につづく

ええ子(いい子)って誰?

元祖イク(育)メンの

梶村俊明です

ええ子(いい子)
について書く

「うちの子はええ子やから」
って誰から見てのええ子?

親からみてのええ子
近所からみてのええ子
誰かと比べてのええ子
大人からみてのええ子
学校からみてのええ子
家の中でええ子
家の外でええ子

ええ子、ええ子って
ホンマにその子は
ええ子なん?

親や家族や周りの大人が
自分の言う事を聞くええ子
自分に対して
自分の都合のええ子であって

そのええ子の
周りの人達の思い込みが
その子にとってええことか
考えた事ある?

その子無理して、
ええ子になっていない?

周りの人に気を使って
ええ子になってない?

人間は他人に褒められると
嬉しい

大人になって
「この人ええ人やから」
と言われる人は
他人の事を真剣に考える人
親身に他人の世話をする人
他人に優しい人
他人に与える人
見返りを求めない人
自分を優先しない人
言いたい事を言わない人
他人に合わしてくれる人

みんなも
「ええ人になって」
疲れることない?
無理してええ人になってない?

子供も人に褒められると
嬉しい
特に親に褒められると
本間にうれしい

褒められる為に
自分を押し殺してええ子に
なっていない

考えたら
俺は幼少から大人に成るまで
「ええ子やな~」と
褒められた事がない

かわりに
「元気がええ子やな~」
「好きな事やってるな~」
と言われた事はいっぱいある

子供の頃から
自分の好きな事を考えて
好きな事しかしなかったし
言いたい事を言っていた
俺は大人から見たら
可愛げのない子供やったと思う

圧倒的に
褒められるより
怒られる事の方が多かった

怒られている時も
右から左に聞き流していたし
「こいつ怒っているな~」
と人ごとのように俯瞰していた

大人になってからは
「ええ人」と言われる事があるが

基本的に
子供の時から変わってないので
好きな事しかやらないし
好きな人しか会わない
やりたい放題の人生を過ごしている

他人の目も
子供の頃から気になら無し
気にしない
他人の意見で左右される事もない

先ずは
俺ファースト(自分優先)
その後に
他人の事になっている

それを通した結果
ええ人と言われる事があるけど

何も自己犠牲や
我慢をしていないから

ノンストレス

俺は
「ええ人」より
「いつも元気やな~」
「楽しそうやな~」
「一緒にいたら元気出るわ」
「一緒にいたら楽しいわ」
と言われる事が圧倒的に多い

世の中には
「ええ人」と
言われているのに
ストレスを抱えている人が多い事

他人の目を気にして
他人の評価を気にして
自己犠牲し
我慢した結果
「ええ人」と言われる

そら
シンドイで

大人でもシンドイ事を
子供にさせていると
気付いて欲しい

大人のエゴで
子供に無理をさせんといて

子供は生まれてきただけで
ええ子やし

生きているだけで
ええ子なんやから

子供が考える事やる事を
もっともっと褒めてあげて

他人の事を考える前に
自分の事を考えさせて

わがままな子は
自分を持っている子やで

言うとくけど
人の気持ちが分からん
人の事を考えない
とは違うで

人の事を考えるのは
自分の事が出来てから
という事やで

元気ないやつが
他人を元気づけられへんやん

そんな元気のない人に
元気づけられても
「お前が元気になれ」
と思うやろ

日々の生活に苦労している人の
投資話は誰も聞かないやん

俺ファーストとは
そういう事やで

みんなの周りの子供たちに
俺ファーストを教えてあげて

子供たちに教える前に
みんなが
俺ファーストをやって頂戴

ドリームストッパーは誰?

元祖イク(育)メンの

梶村俊明です

子供は多かれ少なかれ
夢を持っているし
子供の間は夢を聞かれる事が多い

それに対して
大人で夢を持っている人や夢を語っている人は凄く少ない

大人になったら
今の自分の環境や状況で勝手な自己判断をして
「俺には無理」
「そんな事言っても・・・」
「やっぱりアカンやん」
「金銭的に無理」
「時間がない」
「夢は夢、現実は現実」
「好きな事をやって仕事にはならない」
「楽してお金を稼いだらダメ」

出来ない言い訳を行動する前からして
やる前から諦める
思考が停止している状態なので行動が伴わない

その癖が付いているので
ついつい子供が夢を語っても
「現実は甘くない」
「それをするまでに凄い努力がいる」
「お金が凄くかかる」
「お前には向いてない」
「その仕事ではお金を稼げない」

子供の事を考えて
子供が苦労して欲しくない
何も分かっていない子供に教えている
と思っての事で何も悪気がない

自分がやった事が無い事に対して
考える事は出来るけど
経験が無いので
どうしたらいいのか分からない

分からないからそれは出来ないとなり
その考えを子供にしてしまう

そら
子供の夢に対してその夢を体現している大人は少ない

自分が分からない夢は
子供が夢に向かっていく時のサポートに徹したらええねん
何も自分が子供の夢を導いたり指導する必要はないし
経験がないのでそれは出来ないと思う

そろそろ
俺たち大人が
子供の夢を潰してしまっている事に
気付いて欲しい

自分たち大人は
夢を諦め現実に生きているかもしれんが
夢を見れる子供達の
夢を奪うことは辞めてあげて

子供達の夢は次から次へと変わって
「前に言っていた夢と違うやん」
となるかもしれんが
それだけ夢を見れる時期だと理解してあげて

大人もやる前に考えていた事と
やってみて違っていた事なんて
いっぱいあるやん

子供は何もやった事がないから
言える事や夢を見れる事がある
自分でやってみて
初めて分かる事がいっぱいあるやん

どんな経験でもその子に必要な経験で
その子の後の人生で絶対に役に立つことやから
経験はいっぱいいっぱいやらして頂戴

経験の物の捉え方を教えてあげて
やってみて出来なかったことも
「ほら、出来ひんやん」
「お前には無理やで」
等のネガティブでなく

「どうやったら出来ると思う」
「出来る為に何が必要」
「今の自分の立ち位置が分かったな」
「出来る人と自分の違いは」
等のポジティブな事を言って

子供に考えさせその次の行動に持っていく

それが大人の役目やと思う

ドリームカムトゥルー
(夢は叶う)
叶わない夢はない

出来ない事は何もない
誰だって絶対に出来る

今の現時点だけをみて
出来ない事を決めないで

子供たちが今出来ないでも
まだまだ伸びしろ満点
時間はかかるかもしれんが出来る

「この子には無限の可能性がある」
「この子は出来る子」と
心から信じて応援してあげて

夢を叶える為に凄く大切なのが
家族や周りの人の理解であり応援やから

俺が今まで好きな事をして
やりたい事をやってこれたのも
親や嫁や兄弟の理解と応援があったからやし
誰に何を言われても他人の意見に流されない
自分をしっかり持っていたからやと思う

自分をしっかりと理解し
本当の自分が分かるまでの間は
周りの大人がサポートしたらなアカン

子供に夢を見させて
子供の夢を助けてあげられる大人になろう

追伸
大人のみんなも
自分たちの夢を見て行こう~

元祖イク(育)メン

元祖イク(育)メンの

梶村俊明です

今回から子供について
色々書いていく
※育児、子供との付合い方等

俺は今まで子供たちに
空手、水泳(コナミスポーツクラブ)を教えて
学習塾経営で子供たちに接してきた

育児も
長男が生まれた時に経験した

子育てでも
2人の子供と向き合ってきた

空手、水泳、塾で

何百人の子供達を見て接して
その親とも接して

子供達の立場
親や大人から見た立場
を観察しまくった

親や大人の考えでは理解出来ない
子供の考えや
子供の考えでは理解できない
大人の考えを

俺なりにぶった切って
俺が思った事を書いていく

※俺の独断と偏見がある為
記事に文句がある人は
見ないで頂戴
文句があっても
聞きません

今から20年前
「育メン」と言う言葉が無い時に
俺は育メンをしていた

1999年長男の帝斗が生まれた
その時
俺は不動産屋で働いていて
嫁も正社員で働いていた

不動産屋で家の売買をしていて
俺なら買わない物件や
「今が金利の底です」
「土地の値段も下げ止まります」等
俺の考えとは全く逆の事を言って
家を売るのに嫌気を出し会社を辞めた

アルバイトをしながら社労士の勉強し
社労士、宅建、FP等の資格を取って
独立開業を目指す事にした

会社勤めをしていない分時間が持てる状況で
育児に関心を持って
「長い人生の中で育児をするのもええやん」
と思い、帝斗の育児をする事を決めた

朝、帝斗を保育所に嫁を会社に送り
迎えに行く迄の時間で勉強とバイトをしていた

子供との接する時間が一番長かったので
帝斗は俺にずっとくっついて
完全にお父ちゃん子になっていた

そんな生活を一年位していて
俺が海外に数日出て行って帰ってきた時
帝斗が何かの病気になり
嫁が付きっ切りなって看病をした
俺が海外から帰ってきた時
帝斗はお父ちゃん子からお母ちゃん子に変わっていた

それを見た俺は
帝斗の乳離れ(父離れ)の時が来たと受け留め
仕事に力を入れていく事を決めた

帝斗が保育所に通っていた時は
保育所との関りも積極的に行い
保護者会会長もやった

2人の子供とも大学生になった

保育所、小学校、中学校、高校、大学
とそれぞれの色んな問題があったし
いまでも問題はある

沢山の子供たちと色々な問題を
一緒に乗り越えてきて分かった事を

これから何回かで書いていく

先ず最初に

子供達全員が
未来があり無限の可能性を持っている

その可能性を伸ばすのも潰してしまう
のも身近な大人や周りの大人が知らん間に
やっている事があるのを分かって欲しい

子供のドリームストッパーにならんといて

スポーツが出来る子
勉強が出来る子
音楽が出来る子
絵が得意な子
コミュニケーションが得な子
人の世話をする子
動物が好きな子
花が好きな子
ゲームが好きな子
漫画が好きな子

色々な子供
十人十色の子供たちがいてる

次回につづく

危険を求めて・・・

ポジティブ雄(お)の

梶村俊明です。

今まで
韓国の民主化運動
ネパールの民主化運動
タイの政党争いによる暴動を
実際の現地で生で経験した

タイの時は
タイに着いて2日目の朝
バンコクで暴動が激化して
非常事態宣言がでた

その時は、
パタヤにいたので何の影響もなくプールで遊んでいたら
日本から心配の電話やメールがいっぱい来た

パタヤからバンコクに戻った時
完全武装の軍隊が街中にいて
物々しい状況になって
街のいたる所に煙が上がっていた

いつも見ている観光客や地元民で賑わっている
バンコクの光景がそこには無く
市街戦が繰り広げられている戦場になっていた

バンコク市内の幹線主要道路が
デモ隊の占拠により全面封鎖され
街の機能が立たれていた

タイの政治情勢が行く前から
悪いニュースを見ていたので
ホテルをバンコク市内の外れにしておいた

市内の地域により危ない所とそうでない所を確認し
市外の観光に行くことにした

観光に行くにも普段の道が使えず
タクシーの運転手も
「そこに行ったら銃弾が飛んでくる」と言って
乗車拒否の連発だった

デモ隊が占拠している場所も
その中に入って行けば何も危なくなく
タイ人特有の明るさから
デモでも祭りみたいにしていた

デモで危険な場所は
デモの先頭や機動隊、軍隊、対抗勢力等の
相手と対峙する所が危ないのであって
中に入ればほぼ安全やと思う

俺は戦場カメラマンやないから
自分から進んで危険な所に
絶対飛び込んで行かない

危険な所に行って危険な目に遭って
ケガをしたり命を失くしたりしたら
全く意味がない
そんなアホな事はしない

偶然に色々な場面に遭遇するが
俺はどんな時も
細心の注意を払って危険を感知しているので
危ない事から避けられている

みんなは
危険な所には行かないでね~

話はネパールに戻り

カトマンズ等で仲良くなった
インドからネパールに来た人から
インド情報を色々貰った

〇トイレでトイレットペーパーを使って怒られた
〇駅の線路でオバハンが立っしょんしてる
〇町の至る所でおっさんが野糞をしている
〇カレー以外ない
〇とにかく集団で寄ってきて煩い

ネパールよりインドが劣悪で
人的にも衛生的にも大分キツイみたいだった

なんでそんな劣悪なインドに行くのかと聞くと
観光で見る所もいっぱいある事はたしかやけど
なによりハッシシ(大麻)、マリファナ等の
薬物がめっちゃ安く
その頃インドにハマっていた人のほどんどが
それ目的やったみたい

ネパールでも薦められて
試したことは試したが
薬物を使わなくても
いつもハイな俺は
薬物が必要なく依存もしなかった

その話を聞いて
一気にインドに行く気が失せて
この旅行はネパールだけにする事に決めた

壮絶 血の儀式

ポジティブ雄(お)の

梶村俊明です。

ネパールのつづき

カトマンズでの印象は
ヒンドゥー教の世界観が半端なかった

ヒンドゥー教の寺院も
全く日本では見たことがなかったし
見るもの全てが新鮮やった

パシュパティナート寺院での火葬で
死体を焼いて、その灰をすぐ横の
バグマティ川(ガンジス川の支流)に捨てのも衝撃的やった

死体を焼いている直ぐ近くで
川で水浴びや水遊びをしている人
洗濯や食器を洗っている人
用を足している人
みんなごちゃ混ぜになっている光景をみながら
「無茶苦茶やな~」と呟いた

町を歩いている現地の人を観察していて
現地の人の程んどが靴を履いていない事に気付いた

ダルバール広場(カトマンズのメインの観光地)
を歩いていると前の子供が急に止まってしゃがみこんだ

その少女はおもむろにお尻をだし
俺の目の前でうんこをした
「なんでやね~ん!」

子供たちはその辺でうんこ
野良牛もそこら辺でうんこ
それが当たり前の時代やった

流石に
大人の野クソは少し隠れながらしていた
ちょっとした建物の陰や木とかある所に
人糞がいっぱい発見された

不思議な事に
人糞の周りにティッシュは無かった

ネパールやインドでよく日本人はお腹を壊すが
俺の考えやけどその原因の一つに
彼らの左手があると思う

彼らは紙を使わず
うんこの後左手で拭いている
いくらその手を洗ったと言っても
その手で料理を作っている
その料理を食べたら当たるやろ~

子供たちの遊びも
自転車の車輪を転がして遊んでいた
まるで戦後の子供の遊びに思えた

一番の印象は
ダッチンカリ寺院の生贄の儀式や
早朝から地元のヒンドゥー教徒が乗るバスに乗り込み
ぎゅうぎゅうの状態で険しい山道を
ひたすら走った所にある山奥の寺院で

神様の石像に生贄となる
鶏、アヒル、ヤギの首を切り
その血を石像にかけまくっていく
とても神聖な儀式やが初めて動物を目の前で殺し
尚且つ血をかけまくっている光景は
まだ目に焼き付いている

その動物たちは
直ぐに裁かれて焼き鳥とかになって
寺院のそばで売られていた
流石の俺もそれは食べられなかったわ

その他の印象は
俺が行った時にネパールの民主化運動が
行われていて商店が全部締まり
デモ隊と運動家たちの衝突が日に日に激化していて
毎日死人が出ていた

デモの様子を機動隊側から見ていたので
危険はなかった

機動隊の装備もお金がなく
警棒というより只の棒を持っていた

緊張が続く中
機動隊の青年達は俺たちの受け答えを笑顔でして
決して民衆をボコボコにするようには見えなかった

次回につづく