ドリームストッパーは誰?

元祖イク(育)メンの

梶村俊明です

子供は多かれ少なかれ
夢を持っているし
子供の間は夢を聞かれる事が多い

それに対して
大人で夢を持っている人や夢を語っている人は凄く少ない

大人になったら
今の自分の環境や状況で勝手な自己判断をして
「俺には無理」
「そんな事言っても・・・」
「やっぱりアカンやん」
「金銭的に無理」
「時間がない」
「夢は夢、現実は現実」
「好きな事をやって仕事にはならない」
「楽してお金を稼いだらダメ」

出来ない言い訳を行動する前からして
やる前から諦める
思考が停止している状態なので行動が伴わない

その癖が付いているので
ついつい子供が夢を語っても
「現実は甘くない」
「それをするまでに凄い努力がいる」
「お金が凄くかかる」
「お前には向いてない」
「その仕事ではお金を稼げない」

子供の事を考えて
子供が苦労して欲しくない
何も分かっていない子供に教えている
と思っての事で何も悪気がない

自分がやった事が無い事に対して
考える事は出来るけど
経験が無いので
どうしたらいいのか分からない

分からないからそれは出来ないとなり
その考えを子供にしてしまう

そら
子供の夢に対してその夢を体現している大人は少ない

自分が分からない夢は
子供が夢に向かっていく時のサポートに徹したらええねん
何も自分が子供の夢を導いたり指導する必要はないし
経験がないのでそれは出来ないと思う

そろそろ
俺たち大人が
子供の夢を潰してしまっている事に
気付いて欲しい

自分たち大人は
夢を諦め現実に生きているかもしれんが
夢を見れる子供達の
夢を奪うことは辞めてあげて

子供達の夢は次から次へと変わって
「前に言っていた夢と違うやん」
となるかもしれんが
それだけ夢を見れる時期だと理解してあげて

大人もやる前に考えていた事と
やってみて違っていた事なんて
いっぱいあるやん

子供は何もやった事がないから
言える事や夢を見れる事がある
自分でやってみて
初めて分かる事がいっぱいあるやん

どんな経験でもその子に必要な経験で
その子の後の人生で絶対に役に立つことやから
経験はいっぱいいっぱいやらして頂戴

経験の物の捉え方を教えてあげて
やってみて出来なかったことも
「ほら、出来ひんやん」
「お前には無理やで」
等のネガティブでなく

「どうやったら出来ると思う」
「出来る為に何が必要」
「今の自分の立ち位置が分かったな」
「出来る人と自分の違いは」
等のポジティブな事を言って

子供に考えさせその次の行動に持っていく

それが大人の役目やと思う

ドリームカムトゥルー
(夢は叶う)
叶わない夢はない

出来ない事は何もない
誰だって絶対に出来る

今の現時点だけをみて
出来ない事を決めないで

子供たちが今出来ないでも
まだまだ伸びしろ満点
時間はかかるかもしれんが出来る

「この子には無限の可能性がある」
「この子は出来る子」と
心から信じて応援してあげて

夢を叶える為に凄く大切なのが
家族や周りの人の理解であり応援やから

俺が今まで好きな事をして
やりたい事をやってこれたのも
親や嫁や兄弟の理解と応援があったからやし
誰に何を言われても他人の意見に流されない
自分をしっかり持っていたからやと思う

自分をしっかりと理解し
本当の自分が分かるまでの間は
周りの大人がサポートしたらなアカン

子供に夢を見させて
子供の夢を助けてあげられる大人になろう

追伸
大人のみんなも
自分たちの夢を見て行こう~

元祖イク(育)メン

元祖イク(育)メンの

梶村俊明です

今回から子供について
色々書いていく
※育児、子供との付合い方等

俺は今まで子供たちに
空手、水泳(コナミスポーツクラブ)を教えて
学習塾経営で子供たちに接してきた

育児も
長男が生まれた時に経験した

子育てでも
2人の子供と向き合ってきた

空手、水泳、塾で

何百人の子供達を見て接して
その親とも接して

子供達の立場
親や大人から見た立場
を観察しまくった

親や大人の考えでは理解出来ない
子供の考えや
子供の考えでは理解できない
大人の考えを

俺なりにぶった切って
俺が思った事を書いていく

※俺の独断と偏見がある為
記事に文句がある人は
見ないで頂戴
文句があっても
聞きません

今から20年前
「育メン」と言う言葉が無い時に
俺は育メンをしていた

1999年長男の帝斗が生まれた
その時
俺は不動産屋で働いていて
嫁も正社員で働いていた

不動産屋で家の売買をしていて
俺なら買わない物件や
「今が金利の底です」
「土地の値段も下げ止まります」等
俺の考えとは全く逆の事を言って
家を売るのに嫌気を出し会社を辞めた

アルバイトをしながら社労士の勉強し
社労士、宅建、FP等の資格を取って
独立開業を目指す事にした

会社勤めをしていない分時間が持てる状況で
育児に関心を持って
「長い人生の中で育児をするのもええやん」
と思い、帝斗の育児をする事を決めた

朝、帝斗を保育所に嫁を会社に送り
迎えに行く迄の時間で勉強とバイトをしていた

子供との接する時間が一番長かったので
帝斗は俺にずっとくっついて
完全にお父ちゃん子になっていた

そんな生活を一年位していて
俺が海外に数日出て行って帰ってきた時
帝斗が何かの病気になり
嫁が付きっ切りなって看病をした
俺が海外から帰ってきた時
帝斗はお父ちゃん子からお母ちゃん子に変わっていた

それを見た俺は
帝斗の乳離れ(父離れ)の時が来たと受け留め
仕事に力を入れていく事を決めた

帝斗が保育所に通っていた時は
保育所との関りも積極的に行い
保護者会会長もやった

2人の子供とも大学生になった

保育所、小学校、中学校、高校、大学
とそれぞれの色んな問題があったし
いまでも問題はある

沢山の子供たちと色々な問題を
一緒に乗り越えてきて分かった事を

これから何回かで書いていく

先ず最初に

子供達全員が
未来があり無限の可能性を持っている

その可能性を伸ばすのも潰してしまう
のも身近な大人や周りの大人が知らん間に
やっている事があるのを分かって欲しい

子供のドリームストッパーにならんといて

スポーツが出来る子
勉強が出来る子
音楽が出来る子
絵が得意な子
コミュニケーションが得な子
人の世話をする子
動物が好きな子
花が好きな子
ゲームが好きな子
漫画が好きな子

色々な子供
十人十色の子供たちがいてる

次回につづく

危険を求めて・・・

ポジティブ雄(お)の

梶村俊明です。

今まで
韓国の民主化運動
ネパールの民主化運動
タイの政党争いによる暴動を
実際の現地で生で経験した

タイの時は
タイに着いて2日目の朝
バンコクで暴動が激化して
非常事態宣言がでた

その時は、
パタヤにいたので何の影響もなくプールで遊んでいたら
日本から心配の電話やメールがいっぱい来た

パタヤからバンコクに戻った時
完全武装の軍隊が街中にいて
物々しい状況になって
街のいたる所に煙が上がっていた

いつも見ている観光客や地元民で賑わっている
バンコクの光景がそこには無く
市街戦が繰り広げられている戦場になっていた

バンコク市内の幹線主要道路が
デモ隊の占拠により全面封鎖され
街の機能が立たれていた

タイの政治情勢が行く前から
悪いニュースを見ていたので
ホテルをバンコク市内の外れにしておいた

市内の地域により危ない所とそうでない所を確認し
市外の観光に行くことにした

観光に行くにも普段の道が使えず
タクシーの運転手も
「そこに行ったら銃弾が飛んでくる」と言って
乗車拒否の連発だった

デモ隊が占拠している場所も
その中に入って行けば何も危なくなく
タイ人特有の明るさから
デモでも祭りみたいにしていた

デモで危険な場所は
デモの先頭や機動隊、軍隊、対抗勢力等の
相手と対峙する所が危ないのであって
中に入ればほぼ安全やと思う

俺は戦場カメラマンやないから
自分から進んで危険な所に
絶対飛び込んで行かない

危険な所に行って危険な目に遭って
ケガをしたり命を失くしたりしたら
全く意味がない
そんなアホな事はしない

偶然に色々な場面に遭遇するが
俺はどんな時も
細心の注意を払って危険を感知しているので
危ない事から避けられている

みんなは
危険な所には行かないでね~

話はネパールに戻り

カトマンズ等で仲良くなった
インドからネパールに来た人から
インド情報を色々貰った

〇トイレでトイレットペーパーを使って怒られた
〇駅の線路でオバハンが立っしょんしてる
〇町の至る所でおっさんが野糞をしている
〇カレー以外ない
〇とにかく集団で寄ってきて煩い

ネパールよりインドが劣悪で
人的にも衛生的にも大分キツイみたいだった

なんでそんな劣悪なインドに行くのかと聞くと
観光で見る所もいっぱいある事はたしかやけど
なによりハッシシ(大麻)、マリファナ等の
薬物がめっちゃ安く
その頃インドにハマっていた人のほどんどが
それ目的やったみたい

ネパールでも薦められて
試したことは試したが
薬物を使わなくても
いつもハイな俺は
薬物が必要なく依存もしなかった

その話を聞いて
一気にインドに行く気が失せて
この旅行はネパールだけにする事に決めた

壮絶 血の儀式

ポジティブ雄(お)の

梶村俊明です。

ネパールのつづき

カトマンズでの印象は
ヒンドゥー教の世界観が半端なかった

ヒンドゥー教の寺院も
全く日本では見たことがなかったし
見るもの全てが新鮮やった

パシュパティナート寺院での火葬で
死体を焼いて、その灰をすぐ横の
バグマティ川(ガンジス川の支流)に捨てのも衝撃的やった

死体を焼いている直ぐ近くで
川で水浴びや水遊びをしている人
洗濯や食器を洗っている人
用を足している人
みんなごちゃ混ぜになっている光景をみながら
「無茶苦茶やな~」と呟いた

町を歩いている現地の人を観察していて
現地の人の程んどが靴を履いていない事に気付いた

ダルバール広場(カトマンズのメインの観光地)
を歩いていると前の子供が急に止まってしゃがみこんだ

その少女はおもむろにお尻をだし
俺の目の前でうんこをした
「なんでやね~ん!」

子供たちはその辺でうんこ
野良牛もそこら辺でうんこ
それが当たり前の時代やった

流石に
大人の野クソは少し隠れながらしていた
ちょっとした建物の陰や木とかある所に
人糞がいっぱい発見された

不思議な事に
人糞の周りにティッシュは無かった

ネパールやインドでよく日本人はお腹を壊すが
俺の考えやけどその原因の一つに
彼らの左手があると思う

彼らは紙を使わず
うんこの後左手で拭いている
いくらその手を洗ったと言っても
その手で料理を作っている
その料理を食べたら当たるやろ~

子供たちの遊びも
自転車の車輪を転がして遊んでいた
まるで戦後の子供の遊びに思えた

一番の印象は
ダッチンカリ寺院の生贄の儀式や
早朝から地元のヒンドゥー教徒が乗るバスに乗り込み
ぎゅうぎゅうの状態で険しい山道を
ひたすら走った所にある山奥の寺院で

神様の石像に生贄となる
鶏、アヒル、ヤギの首を切り
その血を石像にかけまくっていく
とても神聖な儀式やが初めて動物を目の前で殺し
尚且つ血をかけまくっている光景は
まだ目に焼き付いている

その動物たちは
直ぐに裁かれて焼き鳥とかになって
寺院のそばで売られていた
流石の俺もそれは食べられなかったわ

その他の印象は
俺が行った時にネパールの民主化運動が
行われていて商店が全部締まり
デモ隊と運動家たちの衝突が日に日に激化していて
毎日死人が出ていた

デモの様子を機動隊側から見ていたので
危険はなかった

機動隊の装備もお金がなく
警棒というより只の棒を持っていた

緊張が続く中
機動隊の青年達は俺たちの受け答えを笑顔でして
決して民衆をボコボコにするようには見えなかった

次回につづく

癒しフェア感謝企画

ポジティブ雄(お)の

梶村俊明です。

17日18日東京ビックサイト
日本最大癒しフェアに参加しました

2日間とも大盛況
満員御礼ありがとうございました。
※並んで頂いたのに時間の都合で
セッション出来なかったお客様
大変申し訳御座いませんでした

2日間で40人近くのお客様を
リーディングさせて頂きました

〇恋人の相談
〇仕事の相談
〇お金の相談
〇人生の目的
〇魂の目的
〇過去生

色々なリーディングをしました

俺のリーディングは
占いでも統計学でもなく
相談者のガイド(守護霊、守護神)等
からのメッセージを伝えるものなので
その言葉が
お客さんの心にストンと落ち
皆さんが納得されていました

相談前には笑顔が無かったお客様も
リーディング後には笑顔になって頂き

感謝や喜びの言葉を沢山頂きました

イベントに参加して
ホンマに良かったと思います

癒しフェア感謝企画として

今月末までにお申し込み頂いた方限定
ストーンリーディングを
通常60分30,000円のところ

10分1,000円でやらして貰います
※時間は30分以上でお願いします

過去に通常料金で
リーディングして頂いた方も
対象にします。
是非、この機会に申込み下さい

リーディングは
ライン、メッセンジャー等の電話でします

僕個人のメッセンジャーか
ホームページの申込から
申込して下さい

リーディング日時
振込先等の詳細は
個別で連絡入れさせて頂きます

このチャンスをものにして
あなたの悩みを解消し
笑顔いっぱいになって下さい

リーディング セッション

ナマステェ~

ポジティブ雄(お)の

梶村俊明です。

エジプトからバンコクに戻り
次の旅行先の
インド・ネパールについて考えた

エベレスト見たいから
ネパールから入ろうとなり
ネパール行きの切符をカオサンで買った

この旅行も
ガイドブック等の情報を一切なしで
行き当たりばったりで行った

カトマンズ空港は
山脈の中にある空港で着陸が難しいみたいで
着陸するまでに3回トライしてやっと出来た。
何回も
「降りるかな~」「失敗」
「降りるかな~」「失敗」
をしての成功だったので
着陸した時車内で拍手喝采になった

当時、ネパールでは観光税と称して
入国税の他にカメラとビデオカメラを
持っていたらお金を取られた

その頃、カメラを盗難されない為に
カメラケースではなく手提げの袋に
入れていたので空港係員に気付かれずに
持込めた
て30ドル位浮いた

カトマンズの空港で知り合った
山村君(エベレスト登頂が目的)と一緒に
ホテルを探しに空港から町に行くことにした

町に行く途中車がえらい渋滞していた
その渋滞の原因は、牛が道の真ん中に立って
ボーっとして道を塞いでいたからやった

ネパール・インドはヒンドゥー教で牛が神様
野良牛が町を我が物顔をして徘徊している
野良ネコ、野良犬なら分かるが野良牛って
世界の広さを痛感させられた

神様である牛の貢ぎ物である残飯を
町の至る所に置いてありそれにハエが群がり
超不衛生極まりなかった

カトマンズで野良牛と野良犬を見たが
野良ネコを見なかったので現地の人に聞いたら
真顔で「ネコがいてたら食べるよ」って
食べんのか~い

適当にホテル数軒を巡り
フロントで値段交渉して
1人30ドルのホテルを値切り交渉をした
観光客が少なかったのか
俺たちの要求金額になり1人10ドルで泊まれた

今でも直接ホテルを予約する時は
値段交渉している

ホテルの朝食がついていない予約をしていて
朝食が食べたくなった時は
直接交渉して格安で食べれる時がある
当然、その金は
その従業員のポッケにナイナイになっている

夕食を何処にするか考えながら
店を探して町を散策している時
日が暮れる前からどの店も
ローソクとランプを準備していて
雰囲気づくりをしてるのかと思ってたら

夜になると
町全体が停電で明かりのない世界になった
その当時
電気の配給が全く間に合ってなく
最低でも週2日電気のない世界になっていた

煌びやかなバンコクの夜とは真逆で
電気のない静かな世界が待っていた

電気のない世界もいいかな~と思ったが
町中の電気が消えているので
ホテルでもランプが無いとトイレに行けず
不便に思った

今までの旅行で電気が無い経験は
内モンゴルの大草原でパオ
(遊牧民のテント)に泊まった時と
カンボジアのアンコールワットで
タイからの送電が切れて街中が大停電になった時

内モンゴルでは、パオに2泊予定やったが
1泊にして街中のホテルに移動
カンボジアでは、その時期が超熱帯夜で
一度は電気のないホテルで寝る事を試みるが
汗が止まらず寝る事が出来なくなり
自家発電機を持っているホテルに移動した

電気のある生活に慣れている俺は
電気のない生活は好きじゃないので
我慢をせずに移動する

ジャパニーズプライス

ポジティブ雄(お)の

梶村俊明です。

前回のつづき

エジプトの遺跡周りでは
大人から子供までみんなで色々な事をして
チップを要求してくる

一番面白かったのが
近づいてきて勝手に歌を歌って
「チップをよこせ」
誰も頼んでないし、そもそも歌下手やし
なんで払わなアカンねん

「金くれ」「お菓子くれ」「紙くれ」「ボールペンくれ」
なんでもねだって来寄った

紙だけやっても書くもの無いし
ボールペンやっても書く紙がないやんと思った

子供数人に囲まれてねだり攻撃を掛けられると
段々腹が立ってくるけど
そんな時も腹を立てずに
「何にもな~い」「他の人から貰い」っていうていた

アブシンベルはスーダンとの国境近くにあり
カイロからも遠いし町から神殿までも離れているが

俺が行った中での感動ランキング上位なので
是非行って頂戴

俺が行った時はアスワンハイダムも行く道のりで
神殿まで5時間くらいかかった
今は飛行機行ったら空港から10分で行けるみたい

エジプトでの買い物の値段が
エジプシャンプライス、フォーリナープライス
ジャパニーズプラスの3つあって
日本人観光客がお金をばら撒いているのが分かった

エジプト人 100円
外人 200円
日本人 300円みたいになっていた

日本人観光客からしたら高くないから払ってしまうが
現地人からしたら得なのでボッテくる
短い時間で気持ちも財布も緩んでしまうのも分かるが
そのことが後の日本人に影響を与える事になるから
値段はできるだけシビヤにして欲しい

エジプトの商店で水を買うのにも
銀座の高級寿司と同じで値段が書いてないから
その人を見て値段を決めてくる

同じ店、同じものを買うにも
店員が違えば値段を変えてくる始末やった

旅行中、食べ物は美味しい物を値段気にせず食べるが
宿はドミトリーとかに泊まってバックパッカーを満喫した
1泊200円とかの宿でなんかあったら嫌やから
ドミトリー内でみんなと話をして自己紹介をする時に
いつも「俺は空手のマスターだ」と周りを威嚇していた

エジプトでのその他の印象は
俺の世界3大トイレの1つで
ピラミッドの近くのトイレやったが
建物の裏に行くと20㎝四方の穴が空いてあるだけの物で
最初トイレが無いと思い辺りを見たら
四角の穴の横にウンチがあって
そこがトイレと分かった

そのほかに
カイロで適当にバスに乗っていて
気付いたら中々の地域に迷っていき
一瞬やばい感じがした
昼間だったので
笑顔でその場を足早に抜け出し
オージーとさっきはやばかったな~
と笑っていた

後、その地区に入って歩いていると
確実に死人だと思える
人間型の布にハエが群がっているのをみた

タイにもハエは多いがエジプトはめっちゃいて
最初は気になっていたが
全く気にもならなくなった

10日間あまりのエジプト旅行
半分以上オージー達と一緒に回り
航空券含め総額10万位で収まった

憧れのナイル川クルージング

ポジティブ雄(お)の

梶村俊明です。

前回のつづき

カイロからルクソールに行く交通手段は
バスか電車が主流やが
その時のエジプトの治安が悪く
バスでの移動では確実に
ハイジャックに遭うという事やったので
電車での移動にした

電車の切符を見てもエジプト語で全く分からん

切符を眺めていると
首から身分証明書をぶら下げた
駅案内人みたいな奴が現れた
そいつは丁寧な口調で
切符の内容を説明してくれ
その電車のホームまで連れて行ってくれた

ホームに着くと人から離れた所に連れて行き
ガイド料を請求された

空港でのデジャブ~
「なんでやね~ん、またかいな~」
オッサンにガイド料はやらんよと告げて
オッサンから離れた

オッサンは今までの態度を変貌して
凄い剣幕で俺に馬事雑言を浴びせた
エジプト語やから何を言っているか分からんから
何とも思わず滅茶苦茶言うとるんやろな~と思った

それを聞いていた周りの人が心配そうに俺をみていた
その中の人にチケットを見て貰い
チケットの内容を教えて貰った

車窓から見える景色は凄く
砂漠、砂漠、只々砂漠が広がっていた
最初は景色に感動したが
何時間経っても変わらない景色に飽きてしまった

ルクソールでは
自転車を借りて遺跡を巡った
色んな観光の仕方があるが体力に自信があれば
自転車で回るのがいいと思う
汗をかき自力で辿り着いた時の感動は今でも残っている

ルクソール宮殿での日本人観光客殺害事件は
俺が行って数か月後に起こった
町を歩いている時も数回銃声が聞こえ
地面に腹ばいになったのを覚えている

自転車観光を終えて町をプラプラしていたら
カイロのホテルで話をしたオーストラリア人にあった

彼らは(男2人組、女2人組)
ルクソール~アブシンベル神殿まで
ナイル川をヨットでクルージングして行くとの事
ほな、俺も混ぜてとなり
一緒にアブシンベル神殿まで行く事になった

エジプト文明はナイル川と共にあるから
アブシンベルまでの川沿いにある遺跡を巡っていった

クルージングは写真で見ると超いい感じやが
実際に乗ったら、まず食事が不味いし衛生的にも悪い
川沿いのヨットで寝るから陸地より気温が下がり
疲れも伴って一発で体調を崩した
高熱が出て意識が朦朧としたが一晩で治すと決め
ヨットの網や毛布等を借りて獣のように眠った

熱を一気にだし翌朝見事に復活した

海外で何回か体調を崩す事があるが
大抵1日で治している
その時のマインドは
「俺はライオン、俺はゴルゴ13」
自分で自分を治すと意識し自己治癒力を全開にしている

次回につづく

エジプトは寒い

ポジティブ雄(お)の

梶村俊明です。

前回のつづき

案内人は直ぐにピラミッド行きを手配し
俺達はなんて親切なんやろうと思った
後で分かった事やが
カイロの空港は警備が甘いか賄賂で中に入れて
観光案内人詐欺を黙認していた

日本円で考えれば大した事は無い金額やが
普通で行く金額の倍以上ボッタクられた

俺の海外でのボッタクリに遭った時の心の切り替えは
日本での価値や日本円で考える事や

大体の事が日本円で考えたら
しゃあないな~で終わる

国の玄関である空港で
詐欺が平然と行われている国
やからこの旅は色んな事があった

空港からピラミッドに直行して
そこでラクダに乗って記念写真
ラクダ使いがカメラを人質に高額チップを要求
ラクダに乗ったらまあまあな高さで(馬と比べても高い)
チップを払わないと降ろさないと言ってきた

「100ドル」「50ドル」とか言ってきたが
なめとんのかとラクダから飛び降り
カメラを取り返して1ドルをやった

おっさんは俺の行動に呆気にとられて立ち尽くし
頼むから「10ドル」くれと言っていた

あほかおっさん、やるかボケと言って
その場を去っていった
一緒にいた人は10ドル以上とられていた

ピラミッド観光を終えて
ここまで乗ってきた車で
その人は空港、俺は町に行かした

俺は町のど真ん中に降ろされた
地図もガイドブックも情報も何も無いので
降ろされた所が町なのかどうなのか?
町の名前もなにも分からない状態やった

とりあえず
今日からの宿を決めなアカン
時間はあるからツーリストを見つければ
その人に聞けばいいと思って
町中に腰を下ろして人間観察を始めた

30分たってもツーリストらしき人が現れない
どうしたもんかな~と思っていたら

現地人が声を掛けてきた
※向こうから声を掛けてくる奴は大概詐欺

「どっから来たんや?」
「何をしてるんや?」
「何処に行きたいや?」
等色々聞いてきた

俺もオッサンが何かあると分かっていたが
時間があるし暇なのでオッサンと話をして
オッサンについて行く事にした

オッサンに連れられお土産物屋に行ったり
一緒に喫茶店でお茶を飲んだり
ホテルを巡った

オッサンは親日で案外いい人で
お土産物屋でちょっと高く買わされた位で
後は色々教えてくれた

ホテルには日本人観光客が居て
その人にエジプト情報と旅行のアドバイスを貰った
その他の外人にも色々情報を貰い
カイロからルクソールに行く事を決めた

その中の1人のオーストラリア人も
ルクソールに行くと言っていた

次回につづく

バンコクの夜

ポジティブ雄(お)の

梶村俊明です。

前回のつづき

マサル達が4泊5日の寝台列車で旅をしている間
俺は、バンコク市内と近郊の観光をして
APで知合った野原さんと仲良くなって
野原さんにバンコクの遊びを色々教えて貰った

野原さんはもう2年位タイに住んでいて
タイ人に日本語を教えて生活をしていた
中々の変わり者で日本人とはつるんでなく
一匹オオカミ的な存在やった

俺は
人見知りもないしコミュニケーション能力も高いから
野原さんにめっちゃ気に入られてずっと一緒やった

マサル達が帰ってきて
旅の話を聞いたが
マサルは楽しそうやったが連れは余り楽しそうでなく
疲労困憊していた

旅行の間、俺はバンコクマスターになった話をしたら
マサルが体を乗り出してきて
GOGOBARに連れて行ってとなり
夜の街に繰り出した

マサルは絵に描いたような真面目な遺跡好きの少年で
もう一つの顔であるバンコクの夜を全く知らなかった

GOGOBARは
アメリカの映画に出てくるような
ポールダンスを踊るような舞台のある店で
女の子が多い店では100人位居てて
みんなスッポンポンで踊っていた

俺も初めて見た時の
ゴーゴーバーの衝撃は半端なかったが
童貞のマサルには、刺激が強過ぎたみたいで
店に入った当初、女の子たちを見ても無表情やったが
やる気スイッチがオンになり
マサルは狂った!
最初の無表情は店の光景が圧巻過ぎて
脳回路が付いてきていなかったみたい

初めて会って2年後位に
APに友達と訪れた時
マサルが共有の洗面台で髭を剃っていた


「マサル~」

マサル
「師匠」

という関係になり
2歳年上の
マサルは俺たちのお供をした

バンコクからカイロ行きのオープンチケット買い

エジプトへの連想ゲームを始めた
「砂漠⇒熱い⇒夏服」
「Tシャツ⇒冬服要らない」等で
夏服にジージャンだけを持ってエジプトに飛んだ

ガイドブック等を読んでいれば
砂漠は朝夜と昼の寒暖の差が非常に激しく
昼間は夏でも朝夜は革ジャン等の防寒が必要と分かる
情報を入れてない旅だったので
現地で寒い思いをしたし
ヨットによるナイル川クルーズの時には
体調を崩し意識がフラフラになった

カイロ空港到着時に
アフリカに向かうトランジットで
カイロに半日滞在する日本人と逢い
一緒にピラミッドを見に行く事にした

空港の荷物レーンの所(通常現地人が入ってこれない所)で
スーツ姿に身分証明書を首からぶら下げて
「私は政府公認の観光案内人」だと言う人物が
俺たちに「どこに行くのか」と聞いてきた
現地人が入ってこれない空港の中での事なので
なんの疑いもなくそいつの事を信じて
「ピラミッドを見たい」と伝えた

次回につづく